パンダに生まれ変わりたい

さまざまな日常

「アイデア」記

目の前に、星野源がいた。
Twitterで誰かが「この曲のタイトルは『星野源』だ」と言っていたけれども、まさにそのとおりだと思う。
この「アイデア」という曲は、星野源のこれまでのすべての肯定で、これからのすべての光だ。

この曲はフルで聴くのがキモなので聴いたときの順番のまま書いていこうと思う。
本当に初見の衝撃はすごかった。0時になった瞬間、一人の部屋で聴く喜び。日本中の人がこれを味わったかと思うと、いい方法だなと思う。みんな、世界で一番はじめに聴いたと思ったんじゃないだろうか。



まずは1番部分。
ドラマ版ではモノラル音源だったけど、フルはステレオだった。音の解像度が上がったこともあり、豊かな音を聞き逃すまいと頑張って聴いていたらテンポに置いていかれた。ドラマ版より速く感じて調べるもおそらく同じ。しかしBPM170台後半、そりゃ置いてもいかれる。
耳が良くないので今まであまり聞き取れなかったギターが鮮明に聴こえた。サビの裏打ちのおかげで余計に疾走感を感じたのかもしれない。
朝ドラの映像も相まって、「アイデアで日常の嫌なことも楽しくしてしまおうぜ」という曲としてめちゃくちゃに最高だと思う。朝聞いて、しゃーない今日も頑張るか、と家を出られる、そういう曲。


ここまでは良かったのだ。MUSICAのインタビューを始めとして「フルはびっくりするよ」という文言が飛び交っていたので覚悟はしていた。でも、でもさ、
こう来るとはやっぱり思っていなくて。せいぜい、今までの曲の歌詞を散りばめているしそういう集大成的な曲にするのかな~、くらいで。

2番、急に灯りが消えた。びっくりした。
暗闇で星野源さんが語る。私はこの感覚を知っている。「バイト」を初めて聴いた時の衝撃だ。首元にナイフを突き立てられたように感じた。
ぽつぽつと絞り出す声のようなビート、恨みにすら聞こえる歌詞。
まさか朝ドラの曲に「ただ生きていて踏まれ潰れた花のように にこやかに中指を」なんて歌詞が置かれると思わないじゃないか。
「笑顔の裏側の景色」と歌っているように、ヒットを飛ばした明るい曲の裏の源さんなのだなと感じる。裏面も曲にしてくれてファンとして嬉しく思う。
到底考え及ばないが、めちゃくちゃ苦しいだろう、そりゃ。流行ったのは「恋」だけど「恋ダンス」だし。一発屋みたいに言う人もいるし。世間は無責任に忘れていくし。
「源さんが生きている」と、新曲が出る度に、ライブに行くたびに思っていたけれど、こんなに痛切に揺さぶられたのは初めてだった。生きて、生き抜いてこの曲を届けてくれた、その事実が苦しいほどに有り難くて声をあげて泣いた。
サビの歌詞は変わらないからこそアレンジの違いが際立つ。
ストリングスもいてくれているので、そこまで不安は感じない。
ドラマ版を聴いたときに「これは明るい『フィルム』だ」と感じたのだけれど、2番はいよいよ「フィルム」のような切実さを感じる。アイデアを駆使して苦しみの中生き抜くという詞だ。頭に浮かぶ「雨」は街灯に照らされた土砂降りだ。
音楽には詳しくないのだけれど、2番~間奏は2018年の星野源の音なのだなと感じた。今までの裏側を、一番新しい星野源で見せている。


間奏、初めて聴いたときは不安になってしまったのだけれど、ずっと聴いていたらどんどん楽しく聞けるようになった。リズムがすごく小気味良い。
MVのダンスもめちゃくちゃかっこいいし。巻き戻しの部分、いいよね。


そしてCメロでもう一度、裏切られることになる。
というかこれ、2番とかCメロとかって呼んでいいのだろうか。「アイデアその2」とか「アイデアその3」とか呼んだほうがよくない?
ともかく、私はここで「くせのうた」を唄う星野源に出会った。
私が初めて源さんの曲を聴いたのはカーラジオで、なにかを弾き語っていた。なんとなく好きな感じの曲で、「これが運命の出会いになって、この人を追っかけるようになったりするのかな。ラジオでそういう出会いをしたいな」と思って名前だけなんとか覚えた。(帰って「星野弦」と検索して出てこなかったのを覚えている)
あのときの私みたいに、それはもうドキドキしてしまった。弾き語りの曲は、呼吸すら制御されるみたいに空気を操られてしまうのがたまらなく好きだ。
その感覚に一瞬で落とされた。
原点なのだろうな、と思う。源さんの原点は源さんしか知らないから想像だけど。
音楽と出会った、曲を作った、歌を歌った、その瞬間。
ちょっと前のライブであった、絨毯やランプのセットを思い出した。薄暗さの中でギターを弾いている感じ。


ラスサビは1番と同じアレンジだけど、今までの展開を経てからだと全く違ったものに聞こえる。すごく楽しそう。
「選んでここに立っている」という信念のようなものを感じる。全編通してだけどとにかく意思が強い。
「音が止まる日まで」と次の「つづく道の先を」がくっついているのがこれまた最高。歌詞カードでは一行空いているけど、曲を聴いていたら「音が止まる日までつづく道」にも聞こえてくる。私は「知らない」がとても好きなので、こういう風に歌われると立ち尽くしてしまう。


そしてその勢いのままに後奏になだれ込む。
SAKEROCKだ、と感じた。源さんのマリンバが叫んでいた。
SAKEROCKも聴いていたので、マリンバを源さんの声だと感じている節がある。
後奏のメロディ、どんどんマリンバの音が大きくなっていくところ。マリンバがこれでもかと唄っている。
MUSICAで夢の外への歌詞が引用されていたけれど、本当にそのとおりだと思った。星野源が、「僕は真ん中をゆく」を声高に叫んで走っていく景色が見えた。
「これからも無茶苦茶に楽しいものを作っていくからな!」と聞こえた。私には。
いやもうどんな救いだよ、ってくらい、救いだ。
最後のフレーズのちょっと引っ掛けた部分でもべろべろに泣いた。走ってコケて笑っているようで。あんまりにも楽しくて。
演奏がライブパフォーマンスみたいに感じられた。源さんやバンドメンバーがすげー笑いながら熱狂の中いつもよりちょっと勢いを増して弾いているような、そんな情景が浮かんだ。
MV見たらそのとおり走りながらジャンプしててまた泣きそうになってしまったよ。



当たり前だけれど、人間は多面的ないきものだ。でも、人間の生み出す作品は概ねなんらかのテーマを据えて作られる。「恋」には「恋」の星野源が、「くせのうた」には「くせのうた」の星野源がいる。それをあろうことか一つの曲にまとめたのが「アイデア」なのだ。
「YELLOW DANCER」から「ドラえもん」までの単色売りもMVに取り込んで集大成感を演出している。使えるものは全て使っている。
化物だ。なんだって取り込んでいく、これまでの歴史も、喜びも、苦しみもみんな取り込んで俺は音楽を作っていくんだ、という気迫に射抜かれそうになる。もはや執念と呼んだ方がいいのかもしれない。
芸術とは本来そういうものなのだとわかっていたつもりだけど、ただ識っていただけだった。
こんなに、星野源以外が歌ったら意味が消えてしまう曲はない。
歌詞に「僕」はいないけれど、「『君』と歌おう」と言っているけれど、どこまでも自分のことを歌っている。私はこの曲を歌っている人間ではないし、「君」でもない。

私は、源さんの曲を前期と後期に分けるとしたら、「僕」の前期、「君」の後期だと考えています。
前者は「くせのうた」の「僕はあまりにくだらない」、後者は「SUN」の「君の声を聞かせて」が象徴的かなと。
そして「アイデア」で新しい転換期を迎えるのだな、と感じた。これからは「星野源」の曲なのだと。
もう、楽しみで仕方がない。これからどんなものを見せてくれるんだろう。どんなことを教えてくれるんだろう。

実は、というか、私みたいなファンもいるとは思うのだけれど、「恋」がヒットしたときに、アイドルみたいな人気になったときに、(あまりにも自己中心的な)不安を感じていた。
多分、源さんが世の中に迎合してしまうのではないか、という不安だったと思う。
その不安は音楽番組に出演する度に、ライブに行く度に解消されていたけれど、定期的に湧き上がってきた(私はあの「どうも~星野源で~す!」にライブ感を感じて救われていた)。
でも、「アイデア」を聴いて、これは本当に絶対に大丈夫だ、と確信した。というかさせてくれた。
源さんは楽しい方へ走り続けているだけで、それに世間がついてきただけの話だと。もちろんマーケティングとかマネジメントとか鬼ウマなので、世の中へ向けた発信や事務所の管理もすごいと思うけどね。
改めて、私は「ファン」じゃなくて「追っかけ」だなあと感じた。というか星野源さんのファンはみんな「追っかけ」だろう。
全速力で走る源さんを追っかけて、源さんが蒔いた種を拾いそこから咲いた花を愛でる存在。そんなん、めちゃくちゃ楽しいじゃん。
こんな楽しいことさせてくれる人、なかなかいないよ。しかも全力で楽しませてくれるし。それを心の底から信用していい人って、そうそういないって。
いつか終わるとか、そんなことすらどうでもいい。
どうか、雨の中でも嵐の中でも、星野源という人の人生を見せてほしい。そう歌ってくれているなら、私も「君と歌」いたい。
「音が止まる日まで」? そんなことはない。追っかけが受け取った源さんのかけらはいつまでだって奏で続ける。音が止まる日なんて絶対に来ない。来させてやるものか。追っかけにできることは忘れないことくらいだ。こんな曲、こんな人、もう忘れられるわけがない。
申し訳ないが、私はそう信じさせられてしまったのだ。
「アイデア」という曲に、出会えて本当に良かった。